
2025年1月15日、アメリカの映画監督であり脚本家、プロデューサー、俳優ミュージシャンであるディビッド・リンチが亡くなりました。78歳でした。

思えば、私にとっての"海外ドラマ"の原体験はディビッド・リンチが監督した「ツイン・ピークス」であることに間違いありません。その後日本中が「ビバヒル」や「Xファイル」に夢中になり、「24」や「SATC」を経て、現代のサブスク時代に繋がる日本における海外ドラマ視聴の下地を作ったと言っても過言ではないと思っています。
※ただ、アメリカに住んでると小さい頃に見た海外ドラマに突然エンカウントする時があるんだよね。。「大草原の小さな家」とか「奥様は魔女」とか。これいわゆる今で言う”海外ドラマ”枠として意識していなかったけど、確かに小さい頃にこう言うドラマは見ていた。
「ツイン・ピークス」が流行した当時、私は17歳でした。北海道の片田舎にある私が通っていた中学校でも「ツイン・ピークス」は大流行(少なくとも私の認識ではそうだった)し、VHSのビデオテープが友達から友達へ、人から人へと回りに周りました。今考えると本当に不思議な現象だよ。ネットも携帯もない時代にアメリカのドラマが極東の最北の地で流行るんだよ。きっと深夜に放送していたものを誰かの親か年上の兄姉が録画したものだったのかな。今は不思議でもきっと当時はつじつまが合う理由があったんだろうな〜。

私はその後、ディビッド・リンチの「ツイン・ピークス」以外の映画作品にも興味を持ち、「ツイン・ピークス」以外の海外ドラマにも興味を持ち、アメリカに来るまで本当にたくさんの海外ドラマを視聴しました。私の頭の中の数十パーセントは海外ドラマでできていると言っても否定できません。
私に生涯の有意義でかつ無意味な趣味を与えてくれたディビッド・リンチ監督、ありがとう。
